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2018年5月6日
私がパニック障害を治せた理由 後編

目次
パニック障害を治せた2つの要因
※前編ではこの様な内容について書きました。
- 私がパニック障害を発症した原因
- パニック障害の発症場所と時間
- 精神科に通院、精神安定剤を飲む毎日
それではようやく本題に入ります。
私がパニック障害を治せた理由…、それは恐らくこの2つの事のお蔭です。
- つらい事から逃げた
- 「この人みたいに生きられたらラクなんだろうな」という人の口癖を真似てみた
つらい事から逃げた
私にとって「つらい事」とは、陸上部の選手でいる事でした。
- 中学生の時に陸上部に入っていた事
- 高校1年の担任の先生がたまたま陸上部の顧問だった事
たったこれだけの理由で、陸上部員としては決して速いわけでもないのに陸上部に入部してしまいました。
最初はマネージャとして入ったのですが、練習を見ている内になんだか私も走りたくなり(もともと運動は得意なので)、短距離の選手になりました。
しかし、この選択が私のパニック障害を悪化させてしまいました。
まず、練習が半端なくキツイ。(当たり前ですが。)
毎日苦しみながら走って走ってひた走る日々。
そこで記録が伸びたり走る事が好きだったりすれば良かったのですが、決して自己ベストを更新出来るわけでもなく、走る事に楽しさを見いだせる事が出来なかった私は、段々と毎日の練習が苦痛になり、恐怖になっていきました。
しまいには、
「明日はどんな練習をやるんだろう…」
と夜に考えるようになり、そうすると高い確率でパニックに襲われ、
日中の練習がつらい
↓
夜に次の日の練習を考えると怖くなる
↓
パニックに襲われる
↓
練習=恐怖になる
という完全な負の連鎖が出来てしまいました。
選手を辞めたらラクになる事は分かっていました。
しかし、一度自分がやると決めたことを途中で投げ出せるほどの勇気もなく、毎日練習メニューに怯えながら走っていました。
しかし、高校2年の春に自分の中で「プツン」と糸が切れたタイミングがありました。
なぜそうなったのかは覚えていないのですが、
「あ、私もうダメだ…。」
というのを練習中に突然悟り、選手を辞めてマネージャーに戻る事にしました。
私は本当に臆病者で、選手を辞める事で同じ部活の仲間から後ろ指を指されるんじゃないか?という不安があったので、周りの人の評価を気にする私にとっては物凄く度胸のいる決断でした。
しかし、いざ辞めてみたらもう練習の恐怖に怯える事はなくなり、心は多少ラクになりました。
「つらいからって逃げるなんて情けない。」
と考える自分もいますが、今はあの時逃げて良かったと心から思っています。
「この人みたいに生きられたらラクなんだろうな」という人の口癖を真似てみた
選手を辞めた私は、長距離のマネージャーになりました。
(短距離のマネージャーは既に十分な人数がいたのです。)
長距離部の顧問は小山先生という人でした。
箱根駅伝の2区を走った経験もある凄い人なのですが、話している分にはその様な凄さはなく、楽観的と言うかひょうひょうとした40代の先生でした。
その日の練習メニューは先生が決めます。
当然、毎日「うわぁ…。」という様な練習ばかりなので、メニューを聞いた選手たちは「まじかよー!!」みたいな反応になるのですが、先生はいつも
「そんなのチャチャッとやっちゃえよ!」
と言っていました。
その発言を聞く度に、私は
「実際練習するのは選手なんだし、もう少しみんなの気持ちに寄り添ってもいいじゃない!」
と思っていて、あまり小山先生が好きではありませんでした。
人として尊敬していなかったというか…。
とは言え、実績もある素晴らしいランナーであった事は間違いないので、少しずつ小山先生という人間を観察するようになりました。
そうして毎日接していく内に、
「小山先生みたいな考え方が出来れば、人生もっと楽しいんだろうな…。」
と思う様になったのです。
私が小山先生を尊敬するようになったきっかけです。
そこから、小山先生の「そんなのチャチャッとやっちゃえよ!」を真似するようになりました。
物凄く疲れているけど、明日のお弁当の材料を買いに行かなくては…。
めちゃくちゃ眠いけど、ご飯を炊かなくては…。
等、1つ1つは取るに足らない内容なのですが、当時の私は「やらなくてはいけないリスト」が多すぎて、全てが苦痛でした。
しかしそこで、小山先生の「そんなのチャチャッとやっちゃえよ!」を自分に言い聞かせるように言ってみると、何だか気持ちがラクになってきたのです。
「チャチャッとやっちゃいますか!」
みたいな、前向きな気持ちになれたのです。
まとめ
- 選手を辞めてマネージャーに転身した事
- 尊敬する人の口癖を真似た事
以上が私がパニック障害を克服できた大きな理由です。
この2つのお蔭で心がだいぶ軽くなり、高校生活を終える前に精神安定剤を卒業する事が出来ました。
厳密には高校を卒業し、アメリカに留学してからもパニックに襲われる事はあったのですが、以前の様に毎日ではなく、年に数回レベルです。
そして現在、4年半前に長男を出産して以来、パニックは一度も起きていません。
私の中に閉じ込められていた「愛」が出産を機に爆発し、恐怖に打ち勝ったのではないかなと思っています。
母が死んで以来、ずっと人から愛される事を願っていた私ですが、子供が生まれ、無条件に私の事を愛してくれる人間がこの世に誕生した事で、私はより強くなれたのかなと、今振り返って思ったのです。
以上が、私がパニック障害を治せた理由でした★
大人になって考えてみると、つらい時に逃げるって大切だなとしみじみ感じます。
もちろん、逃げ癖がつくのは良くないのですが、楽しくないのであれば無理して続ける事に何の意味もないのかなと。
「石の上にも3年」
という諺がありますが、3年たっても開花しない事だってたくさんある。
何より、3年も苦しさに耐えながら修行するなんて、人生がもったいない!
私が母の死から学んだのは、「人はいつ死ぬか分からない」という事。
それであれば、今楽しいと思う事に全力を注げる人生の方が、絶対いいに決まっている!
今、この瞬間もパニック障害に苦しみ、でも「つらいけどやらなくてはいけない事」を続けている方がいるのであれば、私は「逃げる」という選択肢を強くおすすめします。